塔
(とう) Tower山田光
(やまだ ひかる) Yamada HikaruH 61.0cm W 17.5cm D 18.0cm
山田光は陶芸家山田喆(てつ)の長男として1923年12月23日東京で生まれた。(1924年1月7日岐阜市生まれとして入籍) 1943年岐阜中学校卒業後、京都の父のもとで京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)窯業科に入学。1945年に卒業し創作活動に入る。翌46年に第1回日展に入選、48年京展市長賞、新匠展新匠賞を受賞。この間、「青年作陶家集団」の結成に参加し、48年に同集団解散後、八木一夫、鈴木治らと「走泥社」を結成する。戦後日本の陶芸において指導的役割を果たした。
山田は初め中国宋代磁州窯の美に共感を寄せていたが、1950年の八木、鈴木との会談の後、古陶磁の美の規範に決別を告げ、轆轤成形による壺という形式を解体してゆく。まず、円錐や円筒で構成した壺の曲面を切ることによって平面を見出し、次には平面による立体構成へ、1955年には壺の口を塞ぎ完全に実用性を否定したオブジェへと至る。1964年に、イメージが先行する制作から一転、自身の体質と一体化した陶芸手法に沿った制作に立ち帰る。その結果、内に空間を孕む極めて薄い焼き締めの陶面による特異な陶の造形-「塔」「陶壁」等と題される作品群が生まれた。以後、70年代はタタラによる「陶面」、80年代は黒陶の「スクリーン」、90年代は銀泥の作品による多様な展開へと、山田独自の無機的な陶の風景はダイナミックな変容を遂げた。
本作品は、60年代の山田の展開を如実に示す作例である。